幕末の1860年、日本の汽船として初めて太平洋を横断した咸臨丸乗組員の子孫達が集う咸臨丸子孫の会が04年10月9日〜11日に塩飽諸島の高見島、本島、佐柳島を訪れました。佐柳島には11日に来訪されました。咸臨丸には塩飽の島々から35名が水夫として咸臨丸に乗り組んでいましたがその内、佐柳島からは前田常三郎と平田富蔵が乗り組みました。富蔵は病気になり、サンフランシスコの病院で亡くなりましたが前田常三郎は帰国後、坂本龍馬と行動を共にし、龍馬より佐柳高次の名前をもらいました。
04年6月には讃岐龍馬会によって佐柳高次と平田富蔵の功績をたたえて顕彰碑(佐柳島の誇り)が乗蓮寺境内に建立されました。今回の訪問は顕彰碑見学と佐柳高次と平田富蔵の墓を参拝を中心に訪問されました。
讃岐龍馬会の人により龍馬と高次の関係の説明を受ける。
乗蓮寺境内の顕彰碑の前にて
高次と富蔵の参り墓を参拝
高次の埋め墓にも参拝、少し高い所にあるので台風被害は免れた
参拝後、「憩いの家」にて佐柳の人達との懇親会
佐柳の人と一緒に記念撮影
帰りは本島の海上タクシーで・・乗船前の桟橋でのひと時
塩飽訪問全ての行程を終えて多度津へ向いました。訪問ありがとうございました
木村摂津守のひ孫さん、桑港(サンフランシスコ)にての著者植松みどりさん、東京龍馬会の幹事さんとそれぞれツーショットにご満悦のSさん
04年10月11日

塩04年10/11日・四国新聞に載った記事へ
咸臨丸子孫の会・佐柳島訪問