大正生まれの私の母は、瀬戸内海の小さな、さなぎ島(佐柳島)で生まれ、育ちました。
そこは
観光施設も無く、海に隔絶されていて、島外とは極端に交流の少ないところであり、母の育った時代はラジオもテレビもなく、言葉は周囲の大人たちから純粋に受け継がれてきていたと思われます。そんな島で育った為なのでしょうか、母はどこに行っても方言でしか話せない人でした。
   
昭和59年に同居していた母を亡くした後、我が家から方言が消えました。しかし、走馬灯のように次々と流れゆく思い出に出てくる母の言葉は全部方言で、「方言なくして母の思い出なし」と思えるほどでした。
顧みると私の世代から以後はラジオ、遅れてテレビが登場し、島で育つ子供も標準語に接しながら育つ時代になっています。やがて島の独特な言語文化は他の言語文化に置き換わり、消え行く運命にあると考えると、とても寂しい気持ちになり、方言を書き残しておきたいと思い立ち、母の思い出を手がかりに一気に特徴的な方言を書きとめて置きました。

   
年月が経ち、2001年の佐柳ふるさとの会で方言集の冊子を会員向けに発行することになり、さらに、島の人達の協力を得ながら、語彙を増やし、面白おかしく読んでいただけるように、会話例もつけて、この方言集が出来上がりました。そして今回、インターネットにも載せることにしたものです。
   
稚拙なまとめで、後に四国や中国地方など他方から伝わった言葉もまぎれているとは思いますが、島で育ち、後に島を離れた人達にとっては郷愁を呼び起こすものではないかと思っています。

*・お願い・・ 誤字、脱字を含め、「こんな言葉もあるよ」など、何でもお気づきの点があればお知らせ頂ければありがたく思います。

COOL ONLINE

kobe TOP

ツール集

ホームページ素材集

方言集を作った動機